「愛しているよ」

f:id:yadokarinomagnus:20190724032902j:plain

お母さま。

いよいよ言えるようになったんだ。

以前の私だと、たまには「好きだよ」とか、直接には言えたけど、まったく遠慮もせずに「愛してるよ」とは、なかなか言えませんでした。

 

それでは、どうしてそう言えるようになれたのか、説明しましょう。

 

実、僕にはこの一年間、大変体調を崩している経験があります。それは、シンプルに言えば、ストレスと合っていない食生活が原因で、お腹を壊してしまったり、筋肉に炎症かかったり、大変やせてしまったりもしました。体がこうして弱まっていきながら、だんだん寝たきりのままの日々になってしまったのだ。それで、お買い物、料理、お掃除などは、とてもできなくなりました。歩くと足も痛んで、外出をするのもほぼありませんでした。そこで、一人で暮らしている私にはお母さんに頼ることになりました。

一日も寝たきりのままだったから、一番難しいのは睡眠に入ることだった。やっぱり、ずっと休んでいると、夜が来ても睡眠には入りにくかったです、どうしても。それはもちろん色んな症状もあったからです。お腹の激しい問題ということで、目を閉じてみるだけで、心臓が止まりそうであったり、息が吸えなかったりすることもよくありました。それで、眠れようとしたときはとても不安だった。目閉じれば、これで心臓が止まって、意識をなくして死んでゆくのか、それともいよいよい眠りに入れるのか、まったく分からないままで、目を閉じてみました。そして、翌朝起きたら、すごく、言葉にもできないぐらいホッとしました。「まだ生きているんだ!」と涙も流しながら感謝したりもしました。そんな日々は去年の秋の頃長く続いた。

 

そんな日々の中で、お母さんは三日にせめて一度私のアパートを訪ねて、世話をしてくれました。そのとき、クリスマス大好きのお母さんはよくクリスマスの祝いの楽しみのことを話しました。それを聞いて、次の日さえあるかどうかを本気で疑っていた私は、お母さんには見られないように、顔と目を反らして涙も流していたと覚えます。だって、クリスマスって、あまりにも遠い話でありそうだったから。

 

でも、冬を耐え、春も来て、日が空の上空をだんだん高く昇っていく中、体調も少しよくなりました。そして、今の真夏の私は、お買い物や料理、お掃除などを一人でできるようにもなってきました。しかも、来週は新しいアパートにも引っ越し、来月の末にはやがていよいよい、日本語を教えることとして仕事がまたできるようにはなりそうだ。嬉しいよ。とても。

 

では、どうして「愛しているよ」って言えるようになれたって話に戻りましょう。もひろん、長い間お世話になっていたこともお母さんに対しての感謝の気持ちを深めました。でも、それよりも、僕たちには最高の宝物でもある、あまりにも貴重なこの「今」しかないんだと、深いところまで実感してきたからです。つまり、私の場合だと、次の日があるかどうか、または、次に会えるかどうか、そんなことを本気で疑ったことがあるから、あまりにも貴重なこの「今」を大切にしようと、大事なことはできるだけ直接に言えるようになったんだ。

 

でもよ、こんな経験をしなくても、大切なことは今の内に大切な人に伝えるべきだと思います。だって、次の再会があるのを当たり前に思ってはいけませんよ。思ってはいけないよ。だから、この文章を読んでくれているあなたにもそうしてほしいなぁと、思っています。自分のご両親や恋人、または兄弟や祖父、自分にとってかけがえのない大切な人、やっぱり今のうちに、「愛しているよ」って言ってあげようね。たまには、そうしてみようね。

 

そして、愛情の気持ちのことだけじゃなくて、例えば仕事場のメーティングの中でも、自分のずっと提案したかったアイデアをどんどん提案してみようね。「明日」や「また今度」ではなくて、最高の宝物であるこの「今」を使いましょうね。だって、人生を振り替えてみるとやっぱり、「やって後悔」よりは「やらなくて後悔」の方がずっと多いと思うんだ。

 

ありがとう・・・・・ありがたい・・・・・お母さま・・・・忘れない・・・・愛しているよ。

 

そして、あまりにも貴重なこの「今」を使って、私のでたらめな日本語の文章をこれで最後まで読んでくれて、本当にありがとうね。Tusen hjertelig takk!