「はじまり」と「三つの言葉」

 

「今日の予定は冬靴を買うことと、ブログを書き始めることだ」と勝手に思いながら、外玄関を出ていたのは、三日前のことでした。

そう思うと、いつの間にか足がすっかり滑て、回る世界と落ちる感覚の中で、後ろから何かが凄い勢いで肩にぶつかった。それに、次は馬鹿みたいに叫びながら尾骨から固くコンクリートにいよいよ着陸しました。

 

・・・

 

「おーい、大丈夫?」とどこかから、女の人の声がします。

大きな声で返事もできずに「助けて」としか繰り返せないところです。

 

少しすると女の人が足がかりに気を付けながら目の前に現れました。

「あの、大丈夫ですか?」

 

「左肩が動けなくて、そして自分ではたてないんだ。」

 

「頭の怪我は大丈夫でしたか?」

 

「うん、この太いニット帽子に守られたんだ。」

 

「それは良かった。今救急車を呼ぶからちょっと待っていてね。」

 

少しすると、その叔母さんの近所の人も、その近所の人の旦那も、私のマンションの三階の人も、しかもお屋さんまでも来て、皆私の周りを囲みながら寒い中でも一緒に待っていてくれる。

そしていつの間にか、元々の叔母さんがあったかいブランケットをいくつかも持ってきて私を上包んでくれる。

 

多くの人にこうして見守れているんだからかもしれないけど、曇りばかりのあの空を見上げても、全然悪くない。

 

そしてついにはサイレンを使わない緊急車で静かに病院まで運ばれました。

 

・・・

 

「腕を折れましたね」とエックス線の写真を見ながら医者さんが言います。

「そうですか?肩が関節からでも抜けだしたように感じましたが・・・」

「そうですね。ちょうど肩に入ってる玉の関節のところで腕の骨が折れましたからね。かなり痛い方ですよ。」

「そうでしたか。あの、尾骨も痛いんだけど・・・写真でも撮ってくれますか?」

「いや、それは折れたとしても治療の方もなく、しかも写真ではよく様子が見えないんです。」

「そうなんだ。」

 

まぁ、雨氷の凄い日ということで、いつもよりも私みたいな患者も多くて、医者さんも看護婦さんたちは皆ひどく取り込み中でした。

 

それから、丈夫なスリングを頂いた私はそのままで帰されるところでしたが、突然世界がますます遠く感じたり、耳に高い音が鳴り始めたり、そして目の前が少しずつ暗くなってきたりします。

 

隣の椅子で腰をかけても効果はない。

前の方へ体が勝手に動きはじめる。

もうやばいと思ったら、私のその様子に気が付いたらしくて、看護婦さんが担架を持ってきて、それに私を移ってくれます。

 

そうしたら、少しずつ世界が元のままにもどって来る。

さっきよりはよっぽほど楽になりました。笑顔の看護婦さんの一人がもう一人の看護婦さんに「こちらはhumerusですね」と私の方へ合図しながら言います。それを聞いた私はできるだけ前向きで冗談半分で・・・「何がhumorousだ?」

(笑い)

「いや、あの、骨のことね・・・」

「あっ、でも確かに似てますね」とそのもう一人の看護婦さんが言います。

 

二人は気持ちよく笑ってくれながら、私を上の泊まり施設のところへ移動させていきます。

 

・・・

 

病院の部屋のベッドで横になって、一人でゆっくりできるところがいよいよ来ました。そうなると、どうでしょう?

 

没頭して、いつの間にか涙が次から次へ勝手に出はじめました。

そうなると、次は

 

「ありがとう!」

・・・

「ごめんさい。」

・・・

「愛してる。」

 

と静かな声で思わずに繰り返し始めました。

自分の中では最も力のある「三つの言葉」でした。

誰かに向けた訳でもなく、ただひたすらに溢れてくる心持ちを晴らしたかっただけでした。

 

「ありがとう!」

 

「ごめんさい。」

 

「愛してる。」

 

わー ・・・・・ この三つの言葉には本当にすごい力があるんだなぁと、思いました。

ありがたいし、大好き。

この命をいただいたことに対しても、私を支えてきてくれた人たちに対しても、毎日いただく当たり前ではない空気・日光・お水・食べ物に対しても、何でもありがたいことだ。ありがとう。

それでも、私は日々の生活の中でそんなことに充分に感謝せずにいたりはする。それこそ「ごめんさい」ってあまりにも気持ちよく感じたからでしょ。 

 

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まぁ、結局その日は冬靴も買えなければブログも始められなかったけど、せめてこれではブログを始められました。片手でも :-)